ビールについて、耳よりな情報を紹介しています当コラム。
今回は前回に続き「日本のビールの歴史」がテーマです。
ビール好きなら絶対読んでおきたい、激動のビール史。
どうか最後までお楽しみください!
まずは前回のおさらい!
前回は、江戸時代に伝わったビールが日本でも明治期に花開いたというお話でした。
明治に入ると産業の近代化が進み、今も知られる有名なビールメーカーの前身となる会社が設立。
日本のビール文化の礎となりました。
戦争により揺れ動く、日本のビール景気
今回はそこから少し時代が進み、大正期から話を始めましょう。
大正初期、世界は第一次世界大戦に揺れていました。
これが日本のビールを世界に知らしめるきっかけとなります。
戦禍のヨーロッパからビールを輸入できなくなった東南アジアやインドに向けて、日本はビールの輸出を行うようになったのです。
このような背景もあり、ビールの生産は伸び、新しいビール会社も作られるように。
日本のビール業界に強い追い風が吹いていたのです。
1919年、大正8年には当時の雑誌に「ビール党」なる言葉が登場。
ビールが日本において一般的な飲み物として愛されていたことがよくわかります。
しかし、大正末期から昭和初期は不況が続き、ビール業界もこのあおりを受けることに。
熾烈な価格競争が続き業界は低迷期に入ってしまいます。
ビールは安くなるものの消費量は減退するという悪循環が生まれていたのです。
この対策として1933年、昭和8年には麦酒共同販売会社が設立され、乱売の時代が終わります。
しかし、日本を待っていたのは戦争の時代でした。
ビールもほかの食品同様、価格統制が行われ配給制が開始されます。
1941年、昭和16年太平洋戦争が勃発すると、ビールの原料である大麦やホップが入手しにくくなり、ビールの生産量は急落。
昭和18年にはビールの「銘柄」までも統一することになり、すべてのビールのラベルは「麦酒」となります。
太平洋戦争の最中、日本のビールは生産量を減らしブランド力も失う、という暗黒の時代となりました。
この混乱は戦後まで続くこととなります。
戦後の人気でビールは家で飲むものに!
太平洋戦争が終わってから4年、昭和24年になってやっとビール業界にも光が見えてきます。
それまで停止していたビアホールの営業が許可されたのです。
また「大日本麦酒」が「日本麦酒」(サッポロビールの前身)と「アサヒ麦酒」(アサヒビールの前身)に分割され、新しい体制に。
日本のビール業界は再出発を切ることとなります。
この年、ビールの自由販売も再開され、ビールの生産量も急上昇しました。
各地のビアホールやビアガーデンも広がりを見せ、女性客も増加していきます。
その後、昭和30年代には高度経済成長期の勢いに乗って、ビール業界も好景気を迎えます。
それまでは、ビールといえば夏のものというイメージでしたが、この頃から年間通して飲めるもの、として世間に浸透しました。
また、女性のビールファンが増えたこともあり、家の外だけでなく、家庭で飲まれるものとしてもすっかり人気に。
さらには、この時期、冷蔵庫が広く普及したことで「家でビールを飲む」という習慣が一般的になりました。
そして1962年、昭和37年には缶ビールの自動販売機も登場と、ビールはより気軽に手に取れるお酒となります。
その後のビールの歴史は、皆さんご存知の通り。
1990年代の中頃には低価格の「ビール風アルコール飲料」、いわゆる発泡酒が登場します。
その後も2000年代前半には発泡酒に別のアルコールを混ぜた新ジャンル、「第三のビール」が登場と、さまざまな価格帯のビールが楽しめるように。
さらに、近年ではノンアルコールビールや、逆にアルコール度数を高めた新ジャンルビールの登場など、今もビール業界はさまざまな工夫でビールファンを喜ばせる商品を作り続けています。
いかがだったでしょうか。
大正から昭和にかけて紆余曲折を経て、高度経済成長期にビールは、家でも気軽に飲めるお酒に変身して、今に至ります。
まさに激動の日本史と同じ歴史をたどってきた日本のビール史。
今度、ビールを飲むときに、ぜひ思い出してみてください。
ビールの壮絶な、けれど華麗なる歴史を味わいながら、ぜひビールを楽しんでいただきたいです。
参考
サントリーHP https://www.suntory.co.jp/
キリンHP https://www.kirin.co.jp/
サッポロビールHP http://www.sapporobeer.jp/
ビール酒造組合HP http://www.brewers.or.jp/
ほかのお酒は飲まなくてよいというほどのビール好き。
クラフトビールについて日々勉強中です!