日本のビールの歴史 その① 江戸時代にはもうビールを飲んでいた?

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ビール好きの方に興味を持っていただけるトピックを選りすぐり、ご紹介しています。

今回は、「日本のビールの歴史」がテーマ。とっても奥深いので2回に分けてお伝えしましょう。

本日はその第1回です。

江戸時代にはもうビールを飲んでいた?


現在の平戸港

日本で残っているビールの記録は、17世紀、江戸時代の慶長年間までさかのぼります。

平戸港に入港したイギリス戦の積荷にビールがあったという記録が残っているそう。

とはいえ、まだ急激にビールが日本で広まることはありませんでした。

18世紀に入り、江戸の蘭学が隆盛になると状況が少し変わってきます。

当時、西欧文化との唯一の窓口だったオランダからビールが伝わり、蘭学者たちが、ビールの試飲や試作に励むようになるのです。

日本でも江戸時代からビールが造られていたとは驚きですね。

また明治新政府が欧米文化を知るためにヨーロッパに送られた岩倉具視らの使節団は、現地のビール工場を視察し、ビール産業の活況さに驚いたといわれています。

日本初のビアホールができたのは、なんと幕末!?


現在の横浜

そんな中、最初のビアホールができたのは、横浜でした。

1865年というから幕末のど真ん中。

この年は京都で長州藩が挙兵した「禁門の変」が起こってた年。

倒幕運動が盛んになっていく大変な時期に、すでにビアホールがあったとはびっくり。

けれど「ビア・アンド・コンサート・ホール」という名前のこの施設は横浜に滞在する外国人のための店という意味合いが近く、日本人が気軽にビールを飲む時代はまだ少し先となります。

その後も日本のビール文化の主役は横浜でした

。明治になると横浜にビール醸造所が作られるのです。

1870年、明治3年に、アメリカ人、ウィリアム コープランドが横浜の山手に「スプリングバレー・ブルワリー」を開きます。

江戸時代に蘭学者がビールを作ることはありましたが、これだけ本格的な醸造所はありませんでした。

その2年後の明治5年には大阪で渋谷正三郎が日本人で初めての本格的なビール醸造を開始。

日本のビールは明治になり、ついにその歴史をスタートさせるのです。

あの有名メーカーのルーツもこの頃できた!

明治という新しい時代は、日本のビール文化の基礎を作るのにぴったりの時期でした。

急速に近代化が進んだおかげで、日本でもビール会社がたくさん誕生していきます。

1885年、明治18年にはジャパンブルワリーからキリンビールが作られ、これがキリンビールの前身となります。

ほかにも明治20年以降には日本麦酒醸造会社(エビスビール・サッポロビールの前進)など、大きなビール会社がこの時期に産声をあげています。

生産する量も急増、質も安定したことで、それまで一部の人だけが飲む嗜好品だったビールが、一般的な飲み物に変貌していきます。

日本にもビール文化が少しずつ開花していくのです。

いかがだったでしょうか。今回は日本に初めてビールが入ってきた時代から、近代化によりビールが広まっていくまでを、一気に紹介しました。

次回はさらに日本のビール文化が勢いを持つ大正時代からの歴史を学んでみたいと思います。お楽しみに!

参考

サントリーHP https://www.suntory.co.jp/

キリンHP https://www.kirin.co.jp/

サッポロビールHP http://www.sapporobeer.jp/

ビール酒造組合HP http://www.brewers.or.jp/

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