ビールについて様々なトピックスを紹介している当サイト。
今回は、意外と知らない、「世界のビールの歴史」がテーマです。
ビール好きはもちろんのこと、トリビア好きの方もぜひご覧ください。
ビールの歴史の奥深さに、きっとびっくりするはずです!
そのルーツはなんとメソポタミア!?
一説によるとお酒は紀元前7000年からあったとされ、古くから我々人間の暮らしになくてはならない存在でした。
ビールの歴史も実に古く、そのルーツは紀元前4000年のメソポタミアといわれています。
麦のお粥を放置していたところに酵母が入り込み、自然発酵。
これがビールになったのがその始まりだったようです。
シュメール人が残した粘土板にはなんと、ビールの作り方が残されています。
それによると以下のような手順でビールが作られていた模様。
①麦を乾燥させて粉状にする
②①を焼いてパンにする
③パンを砕いて水を加え、自然に発酵
紀元前4000年頃にはエジプトでもビールが作られていたという記録が残っています。
有名な「ハンムラビ法典」(紀元前1700年代)にもビールに関わる法律が掲載されており、古代においてもビールが人々に愛され身近な飲ものだったことがうかがいしれます。
ビール造りは修道士の仕事だった!
中世のヨーロッパでビールは宗教的に重要な飲み物となっていきます。
同じく古くから人々に愛されてきたお酒ワインは、「キリストの血」ともいわれていますが同様に「パンはキリストの肉」と考えられていました。
「ビールは液体のパン」と称されていたことから、宗教的にもビールが大切な飲み物とされていたことがわかります。
それゆえ、ビール製造の発展にはキリスト教の修道院が大きく寄与しました。
修道士たちは豊富な知識を活かし、品質の高いビールを造っていきます。
これが評判を呼び醸造量も多くなり、一般の人々にも広まりました。
宗教的な飲み物であったビールは、徐々に民間でも親しまれるようになっていくのです。
<ビールを定義づけたのは、やっぱりあの国!
中世のビールにはもともと「グルート」といわれる、香味剤が使われていました。
しかし、ホップを使用するとビールがより美味しくなることがわかり、13世紀以降はホップビールが急増したといわれています。
そして、15世紀に入るとヨーロッパ各都市の発展やギルド制(職業別の組合)が定着、ビール醸造が民間でも盛んに行われるようになります。
16世紀、のちのビールのあり方を決める決定的な出来事が起こります。
それが1516年に出された「ビール純粋令」です。
◎ビール純粋令
大麦、ホップ、水、この3つの原料しか使用してはいけない
これはドイツ、バイエルン地方の君主、ウイルヘルム4世により施行されたもので、ビールの品質悪化を防止するためのものでした。
加えて価格制限を設けたり醸造業者への細かいルールが定められました。
これによりビールの品質が向上したことはいうまでもありません。
そして何よりこの法律が、ビールそのものの定義を定め、現在のビールもこれに則したものとなっているのです。
紀元前4000年前から中世ヨーロッパ、一気にタイムスリップしてみましたがいかがだったでしょうか。
次回は近代以降どのようにビール文化が広まり、産業化していったのかをご紹介したいと思います。
参考
サントリーHP
ビール酒造組合HP
ほかのお酒は飲まなくてよいというほどのビール好き。
クラフトビールについて日々勉強中です!